親鸞

記事数:(4)

法事

報恩講:親鸞聖人に感謝を捧げる法要

報恩講とは、浄土真宗を開かれた親鸞聖人のご命日をしのび、その教えに感謝する大切な法要です。親鸞聖人は旧暦の11月28日に亡くなられましたが、現在では、宗派によって日にちが異なり、それぞれのお寺で数日間にわたって営まれます。たとえば、大谷派では11月22日から28日、本願寺派と高田派では1月9日から16日に報恩講が行われます。 この期間、お寺では朝夕のお勤めに加えて、特別な読経が行われます。また、僧侶による法話も設けられ、親鸞聖人の生涯や教えについて深く学ぶことができます。特に、親鸞聖人が書き残された主著『教行信証』の教えは、浄土真宗の教えの根幹をなすものとして大切にされています。報恩講では、この書物から重要な箇所が読み上げられ、解説されることもあります。 参詣者は、読経や法話に耳を傾けながら、親鸞聖人の教えに思いを馳せ、自らの人生を振り返る機会とします。また、報恩講は、仏教徒のコミュニティにとって大切な行事でもあります。普段は顔を合わせることの少ない人々が集まり、共に親鸞聖人を偲び、教えを学ぶことで、地域社会の結びつきを強める役割も果たしています。 報恩講は、単なる法要ではありません。親鸞聖人の教えに触れることを通して、自分の生き方を見つめ直し、感謝の気持ち、そして周りの人々への慈しみの心を育む、貴重な時間と言えるでしょう。日々忙しく過ごす中で、報恩講は、心を落ち着け、本当に大切なものを見つめ直す機会を与えてくれます。
墓石

浄土真宗と墓石:宗派ごとの違いを知る

浄土真宗は、我が国で広く信仰されている仏教の一派です。鎌倉時代、親鸞聖人によって開かれました。親鸞聖人は、様々な悩みや苦しみに満ちたこの世において、すべての人が等しく救われる道を求め続けました。そして、阿弥陀仏の本願力によって、誰もが極楽浄土へ往生できるという教えを説いたのです。 浄土真宗では、「南無阿弥陀仏」と唱えることを大切にしています。このお念仏は、ただ唱えるだけでなく、阿弥陀仏の限りない慈悲に感謝し、救済を願う心を込めて唱えるものです。お念仏を称えることで、私たちは阿弥陀仏の慈悲に包まれ、死後は浄土と呼ばれる安らかな世界に往生できると信じられています。浄土は、苦しみや悲しみのない、永遠の喜びに満ちた世界です。 親鸞聖人の教えは、難しい修行や厳しい戒律を課すことなく、誰もが心から信じ念仏を称えるだけで救われるという画期的なものでした。そのため、当時の多くの人々の心に深く響き、受け入れられました。そして現代社会においても、変わらぬ教えとして広く信仰されています。 浄土真宗には様々な宗派がありますが、特に有名なのは西本願寺派(お西さん)と東本願寺派(お東さん)です。この二つの宗派は、本山や教義解釈などに違いがありますが、どちらも親鸞聖人の教えに基づいており、阿弥陀仏の本願力を信じ、念仏を称えることを大切にしています。 浄土真宗は、誰もが等しく救われるという慈悲深い教えです。そのため、人生の様々な場面で、人々に心の支えを与え続けています。
仏教

親鸞と浄土真宗:葬儀と終活への影響

親鸞(一一七三年~一二六三年)は、鎌倉時代の初期に活躍した僧侶であり、浄土真宗を開いた人です。九歳という若さで出家し、比叡山に登って二十年間、天台宗の厳しい修行に励みました。しかし、自らの煩悩の深さに苦しみ、どうすれば救われるのか、と日々思い悩んでいました。どうすれば人々は救われるのか、その答えを探し求めていたのです。そんな中、法然上人の専修念仏に出会い、深く感銘を受けました。 法然上人の教えは、阿弥陀仏を心から信じて念仏を唱えれば、誰でも平等に極楽浄土へ往生できるという、当時としては画期的なものでした。煩悩に苦しんでいた親鸞にとって、この教えはまさに一条の光でした。親鸞は法然上人の弟子となり、専修念仏の教えを人々に広めることに生涯を捧げました。 親鸞は人々に分かりやすい言葉で念仏の大切さを説き続け、多くの弟子を育てました。身分や地位、学問の有無に関わらず、誰でも阿弥陀仏に救われると説いた親鸞の教えは、多くの人々の心に深く響きました。特に当時の社会で苦しんでいた民衆にとって、親鸞の教えは大きな希望となりました。親鸞は流罪となり、越後(現在の新潟県)に流されましたが、そこで民衆と共に暮らし、教えを説き続けました。晩年には京都に戻り、九十歳でその生涯を閉じました。親鸞の教えは弟子たちによって受け継がれ、浄土真宗として発展し、現代まで多くの人々に心の安らぎを与え続けています。また、親鸞が残した数多くの書物は、現代語訳され、人々に広く読まれています。親鸞の教えは、時代を超えて、今もなお多くの人々の心に寄り添い、生きる支えとなっています。
仏教

浄土真宗西本願寺派の葬儀と終活

浄土真宗西本願寺派は、親鸞聖人を宗祖とする浄土真宗の一派です。浄土真宗は、阿弥陀如来のはたらきによって、この世に生きる全ての人が、死後、仏の国である浄土へ行くことができると説く教えです。浄土へ往けるのは、自らの行いによるものではなく、阿弥陀如来の慈悲によるものであり、これを「他力本願」といいます。阿弥陀如来を信じ、「南無阿弥陀仏」と声に出して唱えることで、阿弥陀如来の救済を信じていると表明し、感謝の思いを表します。この念仏は、行いとして課されているのではなく、阿弥陀如来に救われた喜びの表現なのです。 西本願寺派は、京都市にある西本願寺を本山として、全国にたくさんの寺院と、その教えを信じる人々を抱えています。広く信仰されているため、葬儀や法要も各地で営まれています。葬儀では、故人が阿弥陀如来に迎え取られ、浄土へ往生したことを喜び、感謝する場となります。読経や焼香といった儀式を通して、参列者は故人の冥福を祈ります。 西本願寺派は、阿弥陀如来への帰依を何よりも大切にしています。煩悩に満ちた私たちを迷いから救い出してくださる阿弥陀如来の力に感謝し、その教えを日々生活の中で実践していくことが重要です。かつて蓮如上人によって広く教えが伝えられたことで、浄土真宗西本願寺派は、現代でも多くの人々に親しまれています。蓮如上人は、分かりやすい言葉で仏教の教えを説き、多くの民衆の心を掴みました。その教えは、現代社会における様々な不安や迷いの中でも、人々に希望を与え、生きていく力を与えるものとして、大切に受け継がれています。浄土真宗西本願寺派は、阿弥陀如来の慈悲に支えられながら、人々の心の平安を支える重要な役割を担っているのです。