手水

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葬儀

手水の儀:神道の葬儀における清めの作法

神道の葬儀、神葬祭では、まず手水の儀を行います。これは、桶に張られた水で手と口をすすぎ、心身を清める儀式です。 神道では、水には穢れを落とす力があると信じられています。そのため、神聖な場所に足を踏み入れる前に、手水の儀で心身を清浄な状態にします。この作法は葬儀だけでなく、神社にお参りするときなどにも行われ、神道において大変重要なものです。 葬儀に参列する人は、この手水の儀を通して、故人の霊前に出るのにふさわしい状態に自らを整えます。手順としては、まず柄杓を右手に持ち、水を汲んで左手を清めます。次に柄杓を左手に持ち替え、右手を清めます。再び柄杓を右手に持ち、左手に水を注ぎ、その水で口をすすぎます。最後に柄杓を立てて残った水で柄杓の柄を洗い清めます。これらの動作を静かに、丁寧に行うことで、故人を偲び、葬儀に臨む心構えを整える大切な時間となるのです。 手水の儀は、単なる形式的な作法ではありません。水を介して、自らの内面と向き合い、心を静める時間でもあります。そして、故人の霊前へと向かう厳粛な気持ちを育む大切な意味を持つのです。清らかな心で故人に最後の別れを告げるためにも、手水の儀を大切に行いましょう。 また、手水の儀を行う際には、周りの人に配慮することも大切です。水の音を立てたり、水をこぼしたりしないように気を付け、静かに行うことが望ましいです。
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火葬後の大切な儀式:遺骨迎え

火葬という儀式を終え、白い骨壺に入った故人の遺骨を自宅に迎える「遺骨迎え」。これは事務的な手続きではなく、深い意味を持つ大切な儀式です。古くから、人は肉体と魂は別物だと考えてきました。火葬によって肉体は灰となり、魂はその肉体から解き放たれると考えられています。しかし、魂はすぐにはあの世へと旅立ちません。しばらくはこの世に留まり、慣れ親しんだ家族や家を見守っていると信じられてきました。だからこそ、遺骨を迎えるということは、故人の魂を自宅に迎え入れるという意味を持ち、遺族が故人の魂を慰め、安らかにあの世へと旅立たせるための最初の、そして重要な役割と言えるでしょう。 遺骨を迎える儀式を通して、遺族は故人の存在を改めて感じ、共に過ごした日々を偲び、静かに別れを告げる大切な時間を持ちます。楽しかった思い出、嬉しかった出来事、時には喧嘩をしたことなど、様々な記憶が蘇ってくるでしょう。そして、故人がもうこの世にはいないという現実を改めて受け止め、深い悲しみと向き合うことになります。しかし、それは決して悲しいだけの時間ではありません。故人と過ごした日々への感謝の気持ち、そして、故人の冥福を祈る気持ちで満たされる時間でもあります。 また、遺骨を迎えることは、遺族にとっては、悲しみを乗り越え、新たな一歩を踏み出すための心の準備をする機会でもあります。故人のいない日常は、想像以上に寂しく、戸惑うことも多いでしょう。しかし、故人の遺骨が傍にあることで、故人の温もりを感じ、生きる力をもらえるはずです。そして、故人の遺志を継ぎ、前向きに生きていこうという気持ちになれるのではないでしょうか。遺骨を迎えるという儀式は、故人にとっても遺族にとっても、大切な意味を持つ、かけがえのない時間なのです。